《富山》「伏木測候所(現高岡市伏木気象資料館)」 塔屋復原─職藝学院 現場レポート vol.4─
AH! vol.59 - 2017/07/06《from 富山支所》
森本英裕/職藝学院 専任講師・早稲田大学理工学研究所 嘱託研究員
□近代化の中の伏木測候所
伏木地区は万葉の時代より港町として栄え、江戸時代には北前船による交易が発達したことで知られている。明治時代に入り、地元の廻船問屋の藤井能三らによって伏木港の近代化が進められ、明治16年に日本初の私立測候所として「伏木測候所」が伏木燈明台の一室に設置されている。測候所はその後2度の移転を経て、明治42年に現在地に新築、当時としては非常にハイカラな洋風意匠の木造建築物で、伏木港近代化の象徴であった。その後、昭和14年には国営に移管されて中央気象台伏木測候所となったが、その際に塔屋部分が解体され平屋建となり、敷地内に鉄筋コンクリート3階建の測風塔が建設され現在に至っていた。
この解体された塔屋を当初の姿に復原する為、職藝学院では一昨年度より調査・復原に取り組んできた。今回はこの塔屋復原の現場を紹介したい。
□床下から塔屋軸部古材を発見
塔屋復原にあたり、まず最初に床下部分の修繕と1階部分の間仕切の復原に取り掛かった。床レベルの不陸が著しく、床下部分の腐朽箇所を修繕するために床板を取り外したところ、思いがけない発見があった。現在は大引として使われている部材に、仕口・ホゾ穴・胴縁の跡・釘穴などの古い痕跡が残存していたのである。至急取り外して痕跡調査を行ったところ、創建当初の塔屋に使われていた柱や梁などの部材であることが解った。
昭和14年の塔屋解体時に、当時の大工衆が塔屋軸部材を廃棄せずに床下に転用して残しておいてくれたおかげで、塔屋復原図の各部寸法をより正確なものにすることが可能となった。こうした発見古材は、本学院大工コース2年生が腐朽部分を修繕し、当初の位置に再用した。
□残された古写真から
外観の細部意匠は残されていた数枚の古写真を復原の手掛かりとした。残された古写真を年代別・部材別(意匠的な反転曲線による蛇腹や額縁、安定感のある袴腰出窓やペディメントなど)に整理しながら形状や寸法・位置を決定、色彩も1階部分の塗装調査で当初の色を判別し、古写真の明暗を考慮して復原している(ちなみに、既存平屋部分の塗装は創建当初から現在までに8回程ペンキが塗り重ねられていた。次期修復工事にて当初色彩を復原予定)。
□明治後期の洋風木造建築
明治初期には、江戸時代から続く大工技術を用いながら洋風建築の意匠に取り組んだ「擬洋風建築」が見られるが、この建物は明治後期のもので、トラス構造による架構や筋交、安定感と求心性のある完全な左右対称形、下見板張りに上下窓、ペンキ塗装、窓上には意匠的なペディメント、出入口には反転曲線の額縁を廻すなど本格的な洋風建築の意匠(一部に唐草彫刻など和風の意匠や小舞下地の土壁など伝統技術も見られる)となっている。こうした意匠を持つ塔屋建築(測候所)で現存するものは全国的にも珍しく、近代化の過程を窺い知れる貴重な建築である。
昭和14年の解体後、約80年ぶりに姿を現した伏木測候所は現在「高岡市伏木気象資料館」として、藤井能三や伏木港・測候所に関する当時の資料を展示する資料館として使われている。是非足を運んで「伏木近代化の夢」を体験して頂ければ幸いである。
関連URL
高岡市伏木気象資料館
http://www.city.takaoka.toyama.jp/bunkazai/kanko/bunka/shisetsu/kisho.html
大工と庭師の専門学校「職藝学院」
http://www.shokugei.ac.jp/