《石川》文化で金沢町家を活かす「百年の計」
AH! vol.82 - 2023/7《from 石川支所》
能楽小鼓幸流職分 河原 清/百万石能の会代表
□百万石謡の会の創始
1992年、私の両親によって「百万石謡の会」が産声をあげました。目標は、文化の「継承」と「発展」。金沢では、以前は、結婚式で高砂の謡が、たちまい(棟上式)で鶴亀の謡がありました。そうしたことが生活の中から消えていく、このことを心配して、自宅の町家に集まって謡を謡う、老人センターで子供が仕舞を舞うなどの活動を続けました。
謡を謡うだけか、と思われるかもしれませんが、文化は、この「する」ということなくしては「存在」し得ないのであり、これが文化を伝えることの本質です。すなわち「実践」が文化の継承のキーワードであり、この主題が今の「百万石能の会」に受け継がれています。
百万石能の会
https://hyakumangoku-noh.com/
□これからの百年に向けた大改修
もう一つの目標である「文化の発展」。これに向けて自分は何ができるのか、考えてきました。 百万石能の会がある町家は、金沢駅から徒歩3分の駅前に位置しており、徐々に変化していた駅前の様子は、2015年の北陸新幹線の金沢までの延伸で一変しました。その最も大きな変化は、外国人を含めた数多くの人が訪れる交流人口の増加とグローパル化の急速な進展です。私の小さい頃は、金沢の中心部は町家が連たんしており、そこには、習字、そろばんなどの習い事をするお稽古場がありましたが、生活の場であった町家は取り壊され、今は観光のための商業施設やコインパーキングばかりになっています。当然、数多くあった習い事の場も失われてしまいました。生活の中で文化を実践する場の喪失、このことが地域文化の弱体化を進めています。
つまり、町家を維持する上での課題は、地域文化を担う場である町家の役割を復活させること、その上で、交流人口の増加、急速に進展するグローバル化などの新たな変化にいかに対応していくかということです。
一方で、私の祖父の創建時から全く手を加えてこなかった町家は、少しずつ傾いてきており、これからの維持に向けてそれの改善も課題でした。そこで、一階の基礎をやり直すこととし、最初は町家全体を持ち上げる工法を検討しましたが、丁寧に作られている建物二階の造作に影響があることが懸念されました。検討の結果、2018年に一階の床と天井を全て取り壊して構造を強化する大規模改修工事に着手し、 2019年5月に総檜づくりの新道場が完成しました。
□新しい展開
2014年に、パリ日本文化会館初の客員教授となり、パリのソルボンヌ大学やコンセルヴァトワール、リヨン、トゥールーズ、ストラスブール、ナンシーなどの大学や高等学校で能の講座を行うことになりました。学術的な講演はすでに行われており、能の研究者ではない自分は、どのような講座ができるのかと考え、フランス人に「実践」してもらうことにしました。能は見るもの、講義は聞くものと、とらえられており、実践と講義がミックスした能の講座は、フランスで初めてでした。
その中身とは、まず、学生たちに正座してもらう。正座は、日本の文武二道の基本の型です。それができない。そこには、靴を脱ぐ、脱がない、という日常生活の違いがありました。 次に、謡を謡う。謡を謡うときは腹式呼吸、お腹から息を出します。それができない。フランス語の発声の仕方と全く違っていました。リズムを頭で考えないで繰り返す。哲学が必修の教養であるお国柄、考えないで、ということができない。学生たちは、この「できない」ということに、逆に、強い関心を示しましたが、私は、文化が生活の中に生きていることをあらためて実感しました。そして、今日までのこの実践を基本とした活動の継続により、グローバルな形で新しい展開が起こり、お付き合いが広がりました。
□オンラインでの国際文化交流活動の創始
町家を活動の場とした文化交流は、順調に進んでいましたが、2020年からのコロナ禍がこの交流活動を止めてしまいました。しかし、継続してきた実践が交流の根をしっかりと下ろし、コロナ禍の中での新しいお稽古の形として、オンラインで金沢とパリ、ブリュッセルを結んだ鼓のお稽古を始めることができました。そして、オンライン交流はさらに広がりを見せて、南アフリカの横に位置するレユニオン島の中学生たちとの能とお茶をテーマにしたワークショップが、2022年には、北極圏に位置するアイスランドのアーティストたちと能のデザインと色彩をテーマに文化交流が始まりました。外国の人が、鼓を打つ、謡を謡う、舞を舞う。想像を超えることへの絶えざるチャレンジがキーワードです。
□町家を活かす「百年の計」
町家は、普段の生活の場であり、それはすなわち、生活文化の創造の場であることを改めて認識する必要があります。町家のこれからの維持に向けては、金沢では、能やお茶などの固有の文化の場を商業や観光からの視点からではなく生活の中で大切にすること、それには、これまでの生活自体を文化と捉えて継続する意思が大切です。
江戸期以降、日本は、大きな変化に出会い、それらを受け入れて適合してきましたが、今日の都市の変化とコロナ禍とを経て、多くのことが変わっています。しかし、このことはあらためて私たちにとても大事なことを教えました。それは、変えてはならないものを見極める必要があるということです。
文化は、生活の質に関わる豊かさそのものであり、人が「行き来」する、このことが文化を発展させてきました。つまり、交流こそが豊かさの原点であり、その悠久の歩みをここで止めてはならない。あらためて町家を文化の継承と発展の起点とし、オンラインという最新技術も加えた「新しい形の人の行き来」をつくり出し、いにしえの「絹の道」に習う「文化の道」の確立を目指していきたいと思っています。そしてそれが、町家を活かす「百年の計」であると信じています。