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北陸5支所(新潟、長野、富山、石川、福井)の建築・まちづくり等に関する話題をお届け

AH! vol.77 - 2022/4《from 石川支所》

渡邊 保弘/株式会社文化財工学研究所 代表取締役

 はじめに
 大本山永平寺とともに曹洞宗の2大本山をなす大本山總持寺は、明治31(1898)年の伽藍大火を契機に本山を横浜鶴見の地に移転させます。共にまた移転後の跡地にも伽藍を造営し大本山總持寺祖院とします。現在本堂の大祖堂をはじめとする多くの建物が国の登録有形文化財(17棟)、県(1棟)や市(2棟)の指定文化財ですが、平成19(2007)年3月の能登半島地震によってこの地に築かれた建物群に再び甚大な被害が発生したことは記憶に新しいことと思います。

□震災復興保存修理工事の特色
 この度の震災復興としての保存修理事業は平成20年度に着手されます。地震による被害は、建物が建つ敷地と地盤の変形にまでおよび、通常の指定文化財建造物の保存修理では経験が出来ない地盤改良・杭地業・基礎補強を含めた地盤下の修復や補強作業が、建物自体の修復と共に、建物ごとの立地と建物の特色とによりさまざまな形で求められました。今回はそれら多様な工事のなかでも主だったものを紹介いたします。


写真1 總持寺祖院伽藍主要部


□大祖堂(本堂):揚げ屋・建物自重利用の杭圧入・基礎補強
 曹洞宗特有の前面土間廊下(露路)を備え、正面側を出組二軒とする方丈系本堂です。境内奥の一段高い敷地に建ち、敷地前半が盛土地盤の為地震で盛土地盤が前方へ150mmほど地滑りと沈下を起こし、建物前半にも同様に開きと沈下が発生しました。修理では地滑りした建物周辺地盤の地滑り再発防止のための防護杭を750mmおきに114本打設しました。また礎石建ちの建物下部にRCの地中梁の構築による建物の開き防止と礎石直下に鋼管杭Φ114mmの計235本の打設を計画しました。建物が総欅に近い為全解体修理を不適切とみなし、曳家移動の余地もなかった為、建物の1.1mの揚げ屋を行い、建物の自重を利用したジャッキによる杭長1m毎の鋼管圧入とその継足し溶接を行いながら、各礎石下の所要杭数と杭長を施工し、杭地業の上に地中梁を構築し、礎石据直しと下げ屋の後、建物に生じた変形の歪み矯正を行うと共に通常の保存修理と耐震補強を行ないました。


写真2 總持寺祖院 大祖堂修理(左上竣工写真)


□仏殿:地盤改良・基礎補強
 仏殿も同じく露路を備えた正面が大斗絵様肘木二軒の方丈系本堂。当初客殿として計画され、伏流水を招き込む地盤上に過半が建つ為、雨後の水位上昇が顕著に見られました。軸部は欅材が少なく、全解体修理を計画。地盤に浅層混合地盤改良を施した上に耐圧盤を構築して礎石を据直し、後に組立と通常の保存修理及び耐震補強を行ないました。


写真3 總持寺祖院 仏殿修理(左上竣工写真)


□山門:曳家と杭地業・地盤改良・基礎補強
 山門は総欅の二重門で上層を二軒扇垂木とし禅宗様を主体とする三手先の重厚な意匠です。耐震性能が満足されているとの耐震診断が得られましたが、地盤下部の流動が観察され地盤の強化が必要とされました。大祖堂と同様全解体は不適切と判断されました。幸い建物の背後に曳家移動の可能な空地が得られたことより曳家を行い、基壇解体後に杭の打設と地盤改良、地中梁の構築、建物の曳き戻しを行い、後に通常の保存修理を行いました。


写真4 總持寺祖院 山門修理(左上竣工写真)


□白山殿:柱のステンレスアングルのインプラント
 一間社流造の白山殿は今修理で万治4(1661)年の棟札が確認され、祖院内で最も古い建物としての認識が確立されました。小山の上に建てられた古くからの鎮守社で、地盤状態は他の建物より良好でしたが、経年の雨漏り劣化や虫害により軸部が傷み、地震後4本の円柱の全てで、縁が取付く高さでの折損が確認され、建物が大きく傾く状態でした。当初4本の柱とも折損位置での高根継で考えましたが、耐力的脆弱化が心配され、代わりに柱内にステンレスアングルを埋め込む処置を考案しました。その結果、折損した円柱は95%以上の当初材を保ち、健全な状態に復旧されました。


写真5 總持寺祖院 白山殿修理(左上竣工写真)


 明治の大火後に鶴見に移転した本山の伽藍はより大規模に発展しますが、祖院の地に再建された伽藍は、その総体が中世より続いた曹洞宗大本山總持寺の姿・歴史を偲ぶことができる貴重な文化遺産的価値をもつものとして評価されると考えます。令和2年度に漸く2期13年度に亘る19棟の設計監理が完了しました。長い歴史を持つ祖院の伽藍の価値を再興する事業に参画できたことは望外の巡り合わせと思う次第です。ぜひ一度足を運ばれることを心よりお待ちいたします。

(写真1および各棟竣工写真:アトリエR 畑 亮)