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AH! vol.74 - 2021/6/25《from 石川支所》

山崎 幹泰/金沢工業大学建築学部建築学科 教授

石川県白山市白峰は、霊峰白山の西麓に位置する山間集落である。江戸時代、白山麓十八ヶ村は幕府領となっており、白峰(旧牛首村)はその中心的な集落であった。国内有数の豪雪地帯であり、その気候風土や養蚕という生業に適合するため、大壁造で多層階の建物が普及し、屋根に掛かる大梯子や石垣が連なる独特の町並景観を生み出した。平成24年(2012)7月、重要伝統的建造物群保存地区に選定され、旧山岸家住宅はそのほぼ中央に位置する。


写真1 旧山岸家の全景

山岸家は、白山麓十八ヶ村取次元を代々務めた家で十郎右衛門(ジュウロモ)と称した。牛首村御三家の筆頭として酒造・養蚕・木材・金融等、活発な経済活動を行っていた。
現在の主屋は、天保11年(1840)に山岸家の分家の主屋として、白峰地区の南端に建てられたものであり、建築年代が明らかなものとしては地区内で最古である。明治25年(1892)から翌年にかけて解体、移築し、明治27年(1894)に主屋北側に付座敷が増築された。明治31年(1898)に主屋南側の桁行2間分が増築され、ほぼ現在の形が整った。
旧山岸家住宅は、主屋、板蔵、味噌蔵、浜蔵の4棟の建造物と庭園、ミンジャ(水路)、石垣等の屋敷構えから構成される。


写真2 旧山岸家主屋

主屋は、主体部とその北側に接続する付座敷からなる。主体部は木造(大壁造)3階建、切妻造妻入、桟瓦葺、付座敷は木造2階建、切妻造妻入、桟瓦葺。主体部は南の妻側を正面とし、東面北端に庇を掛けて式台を構える。外壁は黄土色の厚い大壁の2、3階に縦長窓が並び、外観は3階建てに見えるが、内部は4層となっている。1階は、主体部南面中央に設けたゲンカンから中廊下が延び、東側に3室、西側にベンジョ、センメンジョ、階段とネドコが並ぶ。廊下の突き当たりに15畳大のシキダイ、ヒロマがあり、その東側に式台玄関を設ける。移築前の当初の間取りは、妻入りの前広間型で、奥に座敷と寝室が並ぶ加賀Ⅰ型形式だったと考えられる。2室の北側にある半間幅のロウカを挟んで北側が付座敷で、東側にユドノ、西側に2室続きのザシキとブツマ、およびボウズノマがあり、その間に階段を設ける。ブツマの天井は漆塗りで、大きな菱格子と菊形の彫刻を組み合わせた豪奢な格天井である。


写真3 ブツマの天井

主体部の2階は、西側に3室が並び、東側にゾウシベヤ、ヒアマ、チョウダイヤネ、その他を仕切りのないアマとする。アマの南面には、薪の搬入や積雪時の出入口として使用されたセドと呼ばれる開口部を設ける。付座敷は、階段の途中に中2階のモノオキベヤを設け、2階はショサイ、ツギノマと廊下、縁側からなる。主体部の3階は、南側桁行2間と北側7間半の2室からなり、北側のみ天井を張り、屋根裏のアマを設ける。屋根は、もとは栗板の木羽葺であったが、平成5年(1993)に桟瓦葺に葺き替え、あわせて煙出しの越屋根も撤去した。


写真4 2階のアマ

平成26年(2014)まで個人住宅として使用され、翌年白山市が建物と敷地を取得した。その後は、敷地内部を公開し、建物の外観及び庭園を見学できるようにしている。
旧山岸家住宅は、白山麓十八ケ村の取次元として、同地区を支配した最上層階級の家であり、加賀地方における山村住居の完成期の住宅建築である。黄土色の厚い大壁に縦長窓が並ぶ大壁造の3階建てで、加賀Ⅰ型の間取りに復原できうる平面を持ち、白山市伝統的建造物群保存地区の伝統的な住宅形式をよく伝える。明治25年から翌年にかけて現在地へ移築した後、豪奢な装飾を備えたブツマを有する付座敷を増築し、ゲンカンも南側に二間増築、また式台玄関を設けるなど、近代以降もなお地域の経済活動を牽引する家として、その格式をさらに高めていった過程を見ることができる。牛首村御三家の中で唯一、建物や庭園を含む近世の屋敷構えを残す遺構であり、非常に高い歴史的価値を有していると評価できる。令和元年(2019)12月、主屋、板蔵、味噌蔵、浜蔵が市文化財に指定、翌2年12月、国の重要文化財に指定された。


写真5 主体部東面の垂木の破損

しかし、令和3年(2021)1月の豪雪で、主体部東面の垂木全てが折損、また主屋付座敷の西面軒廻りにも、たわみが生じた。木羽葺の屋根を桟瓦葺に変更したため、軒先に継続的に過大な負荷がかかっていたことも、原因の一つと考えられる。豪雪地帯における建造物保存は、技術的な構造補強よりもまず、雪下ろしが重要である。過疎が進む地域において、冬場に常駐する管理者をどう確保するかが、大きな課題である。