《石川》国立工芸館の建築について
AH! vol.73 - 2021/4/20《from 石川支所》
森田 守/株式会社金沢伝統建築設計 代表取締役
2020(令和2)年10月25日に石川県金沢市に開館した東京国立近代美術館工芸館(以下:国立工芸館)は、旧陸軍第九師団司令部庁舎(以下、第九師団司令部庁舎)と旧陸軍金沢偕行社(以下、金沢偕行社)の2棟の登録有形文化財建造物を移築して一体的に整備された美術館です。
第九師団司令部庁舎は1898(明治31)年に金沢城内に建設され、戦後は金沢大学本部が使用して、1968(昭和43)年に解体されて現在地の隣地である石引に移築されました。その際、敷地広さの制約から正面中央部分を残して両翼部分が撤去されました。
将校の社交場であった金沢偕行社は1909(明治42)年に石引に新築して、背面に歩兵第七連隊の将校集会所を講堂として移築した建物でした。戦後は国税局が使用して、第九師団司令部庁舎が移築されたのに伴い1970(昭和45)年には講堂を撤去して正面部分を敷地内で曳家しました。
2棟とも昭和43年以降は県の施設となり一般の人が利用する建物ではありませんでした。1997(平成9)年に登録有形文化財になった後も活用されない状態でしたが、国立工芸館の移転により建物が有効活用されることになりました。
移築整備工事の1つめの特徴は登録有形文化財建造物を活用したことです。旧陸軍の明治期の木造建築物として2棟とも110~120年前に建てられた当初の木造軸組とトラス構造の小屋組をできる限り保存しています。建物完成後は見られませんが、継手や仕口、表面加工、構法などの当初の情報を持つ部材が残っています。また、上げ下げ窓も保存再用されています。
2つめの特徴は、2棟とも昭和43~45年に失われた部分の外観を古写真、古図面から復元したことです。第九師団司令部庁舎では両翼部分を復元して、窓の手すり装飾位置、ドーマーウィンドウを復元しました。金沢偕行社では講堂を復元して、正面側建物の腰石張りを復元しました。外観復元した部分の内部は展示機能等を持たせるため、鉄筋コンクリート造で整備されました。また、解体移築工事中、木材の既存塗装の下層から創建当初の色が確認されたため当初の塗装色に戻しており、明治創建時の姿が再現されました。
登録文化財として外観と軸組が保存されています。内部はある程度自由に整備活用できるため、国立工芸館では第九師団司令部庁舎の正面中央内部の階段室で明治期の欅造りの階段が見られる以外は、展示コーナーなどとして整備されました。階段室のシャンデリアは東京の東京国立近代美術館工芸館である重要文化財の旧近衛師団司令部庁舎で使用しているシャンデリアを参考に再現しています。
第九師団司令部庁舎は明治31年に第八師団から第十二師団の5師団が新設された際に共通仕様で建てられた司令部庁舎の1つで、偕行社は各師団で全く意匠が異なります。性格、意匠の異なる両者が揃って残存している例は全国的にほとんどなく、2棟が隣り合って比較できるのもここの特徴です。
昭和43~45年に2棟の建物の規模を縮小してでも残した意義は大きく、登録有形文化財になっていたことで外観と軸部がしっかり保存され、国立工芸館の建物として整備活用されたことで、貴重な明治期の旧陸軍施設が後世に受け継がれていくことになりました。