Webマガジン■AH!■

北陸5支所(新潟、長野、富山、石川、福井)の建築・まちづくり等に関する話題をお届け

AH! vol.67 - 2019/7/24《from 石川支所》

細野 美希/(公財)金沢文化振興財団 金沢湯涌江戸村 技師

□金沢湯涌江戸村とは
金沢駅からバスで50分。金沢の奥座敷と表現される湯涌温泉に隣接する場所に、野外展示博物館である金沢湯涌江戸村があります。現在、展示建造物は9棟。金沢市を中心に、石川県と福井県から町家、武士住宅、農家、本陣が移築され、それぞれ国、県、市の文化財指定を受けています。もともと、民間企業によって運営されていた百萬石文化園江戸村(以下、旧江戸村)に移築されていた歴史的建造物を再移築し、平成22年に開園した施設です。
そして今年9月、新たに一般公開となる武士住宅があります。


写真1:金沢湯涌江戸村町家武家ゾーン

□旧平尾家住宅
新しく公開となるのは、加賀藩年寄役本多家の家臣で知行70石の給人であった平尾家の住宅です。本多家の下屋敷地であった金沢市本多町に所在し、建築年代は万延元(1860)年と伝えられています。主屋、蔵、門、土塀からなり、間取りはゲンカンを入ってザシキへと続く公的な空間とイマ、チャノマ、ダイドコロといった居住空間に分かれています。主屋正面妻面は白漆喰塗で貫を何段も重ねる意匠で、金沢の平士級武士住宅の典型的な造りとなっています。
昭和50年に金沢市指定有形文化財に指定され、その後、住宅が金沢市へ寄贈され、平成3年に旧江戸村へ移築、平成28年度より当地への再移築工事が行われました。


写真2:旧江戸村に移築された旧平尾家住宅

□板葺石置屋根に復原
建築当初は煙出しをもつ板葺石置屋根で、大正期頃、板葺石置屋根から桟瓦葺になりました。今回の解体移築調査によって、当初の母屋や野地板などはそのままに、その上に新たに束を立て桟瓦葺の屋根を形成していることがわかりました。また、煙出しを構成していた束も転用され残されており、その姿を復原することができました。


写真3:金沢湯涌江戸村に移築復原された旧平尾家住宅

□畳はすべて再用
畳は表替えと締め直しによる修繕が行われ、ほとんどの畳を再用しました。新たに入れ直した畳も手床から制作されました。この修繕作業では明治期の新聞が入っていた畳も確認でき、建築当初からの畳床が使われていたことが伺えます。手縫い作業の仕事が減ってきている現状で、技術継承、そして当初の畳を保存する貴重な機会となりました。


写真4:畳の修繕作業

□版築土塀
旧平尾家住宅は本多町に建っていた頃、土塀で囲まれていました。旧江戸村への移築の際に前面の土塀のみ移築されました。そのため、今回の再移築でも、正面のみの復元となりました。土塀は版築であり、その作業方法は市内の土塀を調査した結果から考えられる方法で行いました。


写真5:版築作業

□ さいごに
 金沢湯涌江戸村は、町家や農家など当時の住人の経済規模や職業、地域による住宅の違いを比較する面白さがあります。しかし、これまで武士住宅は足軽のみ。この旧平尾家住宅の移築によって、やっと足軽と平士それぞれの武士住宅が揃いました。
金沢市内の主要な観光地からは少し離れていますが、ぜひ加賀藩の人々の建物比べを楽しんでいただきたいと思います。