《富山》越中おわらと街衆の心意気
AH! vol.57 - 2017/01/06《from 富山支所》
吉田渉/(社)富山県民謡越中おわら保存会教育研究部
橘賢美/(社)富山県民謡越中おわら保存会渉外部
富樫豊/NPO地域における知識の結い
本稿では、伝統芸能八尾おわらを仔細に紹介し、次いで、おわらが(子どもを含めた)街衆の心意気を醸成していることを述べる。併せて街のあり方考としたい。
1.八尾おわら概要
八尾おわらは、江戸時代に五穀豊穣を願って村中で踊ったことを起源として、昭和初期に町の中を踊り歩くようになり、踊りの優美さと勇壮さが次第に脚光をあび、今ではおわら観光として数十万人が全国から訪れるようになってきた。
八尾おわらは他の伝統芸能と大きく異なって、観光として位置づけるよりも、伝統芸能そのものを生活の一部として八尾もん(八尾人)づくりとして捉えられている。実際、おわらは子どもの頃から親しまれ、青年までには踊り手として、その後は唄い手・囃し手・三味線・胡弓の演奏を通してこよなく愛されている。
八尾おわらの保存の運動については、伝統芸能継承として技を磨き後継者を育てることを使命として、八尾にある11個の町内会にそれぞれ保存会をつくり、またこれらの上に全体の保存会を設置した。こうしたシステムで、後継者育成をも含めて町全体でおわらを堪能している。
2.おわら、表現と踊り
皆様がおわらを堪能いただくため、おわらの踊りについて解説したい。おわらへの思いが伝われば幸いである。
(1) おわらには旧踊りと新踊りがある。旧踊りは豊年踊りとして江戸時代から続いており、新踊りは(保存会初代会長)川崎順二氏が豊かな情緒性や農耕の力強さを表現するように昭和初期に文人小杉放庵氏に唄を依頼し、若柳吉三郎氏に振付けてもらった踊りである。青年や大人のおわらは新旧織り交ぜての踊りであり、子どものおわらは旧踊りのみである。
(2) 踊りの振り付けについて
・旧踊り:素踊り、宙返り、稲刈り:
収穫のときののどかな情景としてツバメの宙返りや稲刈りのしぐさを手先の動きと体の動きで表現する。ただし素踊はそうした表現(所作)が無い。
・新踊り 男性;農耕を表現、 女性;ほたる取り、富山の四季を表現。
男性は、農作業での力強い美意識を稲刈りと鍬鋤(鍬による農地の耕し)に求め、これを体全体で表現する。また、女性は四季折々の情緒をしなやかさや優美さをもって踊りで表現する。
3.踊りの陣容と演舞場
(1)チーム構成
踊りのチームは、踊り手、唄い手、囃し手、胡弓、三味線、太鼓から成る。
(2)演舞場(写真1,2,3)
踊りには、舞台で踊る舞台踊りと街中を踊り歩く町流しとがある。
競演会場では各町の青年男女や子どもが踊りを競い合う。
・舞台踊り:時間にして15分程度またはそれ以上。
囃し1人~、胡弓1人、三味線2~3人、唄2人~、踊り6人(男2人、女4人)~。
・街流し:街中を踊り歩く。気分次第で人数や演舞時間が変わる。
踊り手数十人~、囃し方十数人、唄、三味線、胡弓、囃しが適宜。
4.街衆の心意気
街衆の心意気は観光にあるのではなく、ごく自然な生活の営みにあり、特に二点が特徴的である。第一に八尾おわらは観光として見せるためのものではなく自分たちが楽しむためのものであること、第二にはそこには(子どもを含め)八尾もん全員が参加していることである。これは、八尾にとっては特別なことではなく八尾に根付いた生活の営みの一環である。
5.街の皆さんで支えるおわら
(1)なぜおわらが子どもから大人までもが全員で踊り楽しむようになったのか。八尾では後継者育成のために子どもにおわらを躍らせたのではなく、最初から子どもを八尾もんとして参加させている。この点が、全国の多くの伝統芸能でみられる子ども不在の取り組みとは根本的に違っている。八尾ならではの展開である。
(2)おわら気質
生活の営みの一環で二つのお祭り(八尾のおわらと八尾の曳山)が八尾もん気質を自然と育み、その気質がさらにお祭りを支え、コミユニテイを充実させている。
例えば、子ども時代から運動会や祭りなど事あるたびに町をあげておわらを演舞している。こうした取り組みが極自然におわらを盛り上げ、子どもが物心つく前からおわらは子どもにとってかかせないものとなって、八尾もんの気質を育んでいく。
6.街衆の使命
街においては、曳山とおわらについて生活の営みの一環としてこれを捉え、これに子どもを参加させることによる子育てを実践している。すなわち、子どもが育つ街をつくるのが使命なのであり、これにつきるのである。そんな街だからこそ、子どもが街衆を「おっちゃん」と呼んで尊敬してくれる。
7.日常の取り組み、富山県民謡越中八尾おわら保存会
日頃から町民こぞって保存会を支え、おわらを支えている。街衆は、子どもたちを対象として世代間交流としておわらを指導し、コミユニテイを育てている。以下に会の沿革並びに事業内容を簡単に記す。
保存会の歩み
・大正8年(1919)、おわら研究会発足。
・昭和4年(1929)に越中八尾おわら保存会設立。初代会長に川崎順二氏就任。各町内に支部を立ち上げ。
・平成17年(2005)に一般社団法人。
事業
継承と技量向上、後継者育成、新しい歌詞づくり、調査研究、他。
子どもの演舞本番
運動会、演技発表会、子ども演技発表会。(写真4,5)
8.おわりに
最近、伝統や歴史を基軸に町おこし(街づくり)をしているところが数多いが、八尾ではそのようなことを意識したことがない。それだけ、日常の生活に伝統や歴史が溶け込んでいる。これが八尾町の最大の特徴である。よって観光の方々には、おわらの源である街気質を感じ取って帰っていってほしい、と願っている。
末筆ながら、学校関係者、写真提供の観光協会各位にはお世話になりました。記して謝意を表します。
【住所】おわら保存会
〒939-2342 富山県富山市八尾町上新町2898-1