《新潟》特集:2015年度 日本建築学会北陸支部総会・大会全体報告-中越地震から10年「災害と建築」-
AH! vol.52 - 2015/09《from 新潟支所》
平山 育男/長岡造形大学建築・環境デザイン学科 教授
日本建築学会北陸支部大会は毎年各県持ち廻りで実施しているが、県内では更に新潟大学、新潟工科大学、長岡造形大学を持ち廻りで行うため、本学での大会実施は15年ぶりのものとなる。大会は平成27(2015)年7月11、12日の2日間に渡って実施された。
初日は13時30分から通常総会が大会に先立って行われ、2014年度事業報告、決算報告、2015年度の事業計画(案)、収支予算(案)の報告があった。
続いて支部大会は14時30分からの開始で、開会式後、「中越大震災からの復興」をテーマと講演会が持たれた。会では、先ず震災後に長岡市の復興管理監として復興事業にあたった渡辺斉氏によるもので、被災者に対する仮設住宅のあり方、復興住宅のあり方などについての講演があり、これを受け、長岡造形大学の澤田雅浩が聞き手となって、東日本大震災など今後の災害復旧のあり方について討議を深めた。
懇親会は場所を長岡駅前の桜亭台町茶寮に移して行われた。この建物は、もともと昭和11(1936)年、傍らに引かれた福島江用水の管理事務所として建築されたものである。これを8年程前、結婚式も行える洋風の佇まいを持つ料亭として再出発させたもので、当日は旧事務室を改装した部屋で会は行われた。懇親会では、長岡市の乾杯条例に基づき、日本酒による乾杯に続き、北陸建築文化賞の受賞式が行われ、懇親が行われた。この建物の調査に関わった筆者からも簡単な説明の時間を頂き、2階の旧会議室は結婚式場、金庫室は酒蔵として用いられることなどを解説し、参加者は思い思いに館内の諸施設を興味深く見学したようであった。(写真1)
2日目は9時から正午までが研究発表の時間とされ、午後はトピックステーマに基づく発表を全体で行われた。発表総数は132編で、その内訳は構造・材料系31編、環境系29編、計画系67編、トピックステーマ5編であった。なお、今年度のトピックステーマは、新潟県中越地方を中心に平成16(2004)年10月に発生した中越地震発生10年を受け、“災害と建築”として論文の募集を行い、東日本大震災関連の研究などの発表が行われた。(写真2)
14時からはシンポジオンとして、「建築家にできること 建築が実現できること 学生ができること -(中山間の)生活をゆたかにするためにー」をテーマとし、長岡造形大学の後藤哲男を司会として、地域における生活のあり方を、建築家、若者、学生の立場から話し合いが持たれた。
そして大会は15時30分からの若手プレゼンテーション賞の授与と閉会式があり、次年度の福井県における支部大会を期待して幕を閉じた。
講演会報告
澤田 雅浩/長岡造形大学造形学部建築・環境デザイン学科 准教授
今年度の支部大会の講演会として、10年前に発生した新潟県中越地震の応急対応、復旧復興プロセスに行政の立場から取り組んでこられた渡辺斉氏(元新潟県職員、長岡市復興管理監も歴任、現新潟県建築士会常務理事)を講師に迎え、10年間の取り組み、そしてそこから得られた教訓や課題についてご紹介いただいた。 講演の概要は下記のとおりである(講師のレジメより抜粋)
■中越地震の概要と応急仮設住宅の供給について
・中越地震の概要と被害の状況
・応急仮設住宅設計の理念と教訓、反省点等
■中山間地域型復興住宅の開発について
・設計の基本理念(ローコスト、地域循環、風土適合、景観形成等)
・供給体制、普及啓発の工夫と課題
■壊滅的な被害を受けた山古志地域の集落再生について
・集落再生の基本方針
・事業手法(防災集団移転促進事業ではなく小規模住宅地区等改良事業で対応)
・住民参加のプロセスと課題
■持続可能な地域再生のための中間支援組織「(財)山の暮らし再生機構」の設立について
・組織設立の基本理念(モデルはドイツの(株)エムシャーパーク)(~マスタープラン方式からガイドライン方式へ~)
・事業展開の概要
■東北の再生へ向けて
■四川大震災へ支援状況について
中越地震は阪神淡路大震災以降、初めて震度7を計測した地震であり、建物被害も相当数にのぼったものの、建物倒壊を原因とする犠牲者はさほどではなく、道路網の寸断等により中山間地域を中心に孤立状態が発生したことなどが紹介された。 住み慣れた地域を離れての避難生活を余儀なくされた中山間地域の住民に対して、計画担当者として仮設住宅の設置にどのような配慮を行ってきたのかも示された。仮設住宅そのものは一定の基準があるものの、集会所や集会室の設置に気を配ったり、入居計画の策定に際して、集落単位を基本としたりするなど、長期にわたる仮設住宅入居期間が入居者の負担になりにくい状況を作り出したことなどが示された。
中越地震の被災地においては、被災者の住宅再建に際して経済的負担を少なくし、地域の景観にも配慮した中山間地モデル住宅が提案された。その提案実現にも尽力した氏からその内容についても画像などを用いて示された。地元の越後スギなどを用いるだけでなく、地域の工務店等による設計施工などを総合的に取り込んだ取り組みは、中越地震の被災地だけでなく、その後、能登半島地震の被災や紀伊半島大水害の被災地などへ展開していることも併せて紹介された。
また、旧山古志村では14ある集落のうち、河道閉塞によって水没するなど被害規模が大きい集落に関して、集落再生計画を策定し、現地、もしくは現地近傍での移転再建を支援している。その際の計画策定プロセスや具体的な計画案についても紹介があった。それらを実現する手法として、東日本大震災被災地で取り組まれている防災集団移転促進事業ではなく、小規模住宅地区改良事業を用いることで、事業用地内に公営住宅を設置することもできたり、防災集団移転事業としての適地がほとんどない山古志においても住宅再建を進めることができたりしたことなどが紹介された。
中越地震の復興においては、住民、行政の取り組みだけでなく、それらを連携させる中間支援組織が大きな役割を果たしたといわれているが、その代表的な組織の一つ、山の暮らし再生機構についても、設立経緯やその目的、復興への具体的アプローチなども紹介された。
いずれも現場で陣頭指揮を執ってきた講師ならではの視点であり、圧倒的な情報量で10年の取り組みにおける要点が示されたといえる。 なお、氏がそれらの経験を踏まえて活動を展開している中国、視線地震被災地における復興支援や、東日本大震災の被災地の状況についてもコメントがあるなど、たいへん内容の濃い講演会となった。
学生による語り合いのシンポジオン 2015
後藤 哲男/長岡造形大学造形学部建築・環境デザイン学科 教授
7月12日(日)14:00~15:30 (長岡造形大学 円形講義室)
・テーマ「建築家にできること」、「建築が実現できること」または
「建築を学ぶ学生ができること」―中山間地の生活をゆたかにするためにー
・コーディネーター:後藤哲男(長岡造形大学造形学部教授)
・パネリスト :村木 薫(新潟中央短期大学教授)
大地の芸術祭土壁プロジェクト
:春日惇也(山の暮らし再生機構・川口復興支援員)
里山ハウスプロジェクト
ジビエで地域おこしプロジェクト
・参加者:学生15名+一般5名
□問題提起
【コーディネーターから】 山古志虫亀集落は中越大震災の被災から10年が経過し、人口は3分の2になったものの、日常生活を取り戻しつつある。村外に出た住民も折にふれ村に立寄り、行事に参加し、震災以前の村の年中行事の他にイベントが村の行事に受け入れられ、更なる活気を見せている。今年は新たに山古志ならではの見晴らしよい場所が切り開かれ音楽会(写真1)の会場となった。こうした取り組みの底流には山の暮らしの良さを引き出し豊かな生活を送ろうとする住民の意思がある。このような状況の中で、建築家や学生はどのようにかかわって行けばよいのであろうか。それが問題提起である。
【村木薫氏から】 今年が5回目の開催年となる大地の芸術祭(越後妻有アートトリエンナーレ、第一回は2000年)は15年の歴史を積み上げて来た。越後妻有地域(十日町市、津南町)は日本有数の豪雪地帯である。その一隅をなす松代地区の1960年代の人口はおよそ1万3千人、現在は3千人台と地域の中で最も過疎化が進行した。この松代の町に村木氏は第一回から今回まで以下の概要の「土壁プロジェクト」を展開している。
・5回の大地の芸術祭で計10棟の民家、店舗等を修復
・参加メンバーは魚沼テクノスクール左官科生徒、地元の大工さん、
旧松代町商店街や近隣の人々
・空き家を使った内外を表現の場とするアート作品ではなく、
実際の生活空間に働きかける協働制作
・最終的に松代地域の共有財産となることを目的とする
土壁プロジェクトには次の3つの観点がある。
①地域の個性を見つめる一つの手段として生活の風景があげられる。時間に耐えてきた姿
を修復し、つないでいくことでその場所が持っている力、魅力を引き出す。「景観」と
いう文化の力の蓄積に期待する。
②職人と地域の人たちによる持続的な協働作業を通して、手作り感のある豊かな街並みを
作る。私と隣近所という意識が繋がり、コミュニティーのあり方や帰属意識、そこから
将来のことや希望を語りあう場が生まれることを促す。地域の誇りや愛着の目覚めを期
待する。
③住民同士の日常生活が垣間見られるような肩の凝らない街並み、周辺の山や川や土地の
由来を大事にし、その場所に根ざした必然性に寄り添い、敬意を払う。大量生産消費型
のモノ作りではない、人とモノの関係の中にある当たり前の秩序から生まれる美しさを
作る。平穏無事の美を目指す。
【春日淳也氏から】 春日氏は山の暮らし再生機構の支援員として中越大震災の震央に位置する川口地区の復興に大学卒業以来かかわって来た。
地震前から過疎化は進行していたが、甚大な被害を受けた小規模な集落では20年分の過疎化が一挙に進行したとも言われ、状況は深刻である。持続可能な地域を目指した支援事業の骨格を以下に示す。
①新しい自治の仕組みづくり事業
・NPO、行政などと共にこれからの地域振興・地域課題の解決に向け検討
②集落支援事業
・地域活動団体の活動支援
③新しい主体・担い手づくり
・地域資源の掘り起こしにインターン制度を活用する
・地域に人が循環し、活動できる仕掛けづくり
活動の一環として今年始めた「木沢集落の里山ハウスプロジェクト」は、川口に移住するための入口となる拠点施設づくりである。手軽に利用できるこの施設を通して「お試し滞在」ができ、木沢集落の暮らしを学ぶことができる。1階は土日にそば屋を営んでおり、建物の2階を改造する。
春日氏は近隣の3大学(長岡造形大、長岡技術科学大学、新潟工科大学)の学生にボランティアを呼びかけ、里山ハウスの具体的なアイデアを練り上げようとしている。約10人名の学生がそれに呼応し、住民と支援員と恊働することになった。
□語り合いのシンポジオン
【学生】 学校建築の設計の手伝いをしているが、今の建築は機能が優先されすぎているのではないか。区切りすぎていると感じている。設計者の意図しないもの(機能)がたくさんあり、利用者や時代が使い方を変化させるものなのではないか。地元の著名な美術家によれば建物は一部屋のようなざっくりとしたものが理想とのことなのだが。
【司会者】 それは建築計画における問題である。特に学校の標準設計や、施設整備指針による補助金の存在と関連しているのではないか。
【会場の建築計画の専門家】 1960年代の建築界は非常に面白かった。建築計画の専門家は学校があるだけでイキイキとしていたように思う。
【学生】 学校で教える教科自体は建築の区切りのようにバラバラに区切られたものでなく繋がりがあるはずだと考えている。
【司会】 学校や地域の固有性、あるいは教育の固性などを考える時、建築のあり方が問われているが現在の建築計画の考え方は画一的ではなかろうか。
また、設計上は限定された用途に区切られるようではあるが、空間そのものは意図された用途を子どもたちに強いるものではなく、それらを繋ぎあわせて作られる空間は建築家のビジョンが反映されると思うし、そこに建築の可能性がある。ではその設計者達のビジョンはどうなのであろうか。
【会場の一般の方】 往々にして繋がりたいと思いつつ、繋がらない仕掛けになっているのではないか。継承されないことが問題だ。
【司会】 価値観を共有するコミュニティがあり、建築設計は実現される建築を利用する集団の共有する価値観を包含しつつ建築家の意図を盛り込む作業をする。その両方がうまく機能しているかいないのか。このコミュニティ感覚の希薄化は特に地域にとって大きな問題である。地域をフィールドとした取り組みにおける地域のリーダー像について考えて見るとどうか。
【春日】 地域の構成員は年をとるもので、10年で代替わりする。地域づくりの場合「みんな」が活躍できるよう、役割を振り分けることのできる人材が重要な要素になってくる。「みんな」が活躍できる条件はそれぞれに役割分担があることなのである。地域上げての活動にこれからの地域のあり方の光明を見いだせる。
【司会】 川口で実践されている種々の活動(学生との恊働作業など)はその地域のリーダーを醸成し、あぶり出していく作業でもあるのですね。次に松代の場合はどうか。
【村木】 松代では時間がたっても美しいと思えるものを村人全員の共通意識の中で育てたいと考えている。あくまで「モノ」にこだわった作業であるが、信頼できるものをコミュニティの中で醸成するという作業は共通していると考えている。
今回のシンポジオンは多くの学生が語りあう場を設定したものであったが、参加人数は少なかった。そのため議論がかみあうまでの深まりは得られなかった。あえて進行状況にそって報告した次第である。