《新潟》伝統文化を継承する花街のまちづくり
AH! vol.49 - 2015/01《from 新潟支所》
岡崎 篤行/新潟大学工学部建設学科建築学コース都市計画研究室教授、花街空間研究会代表
ここでいう花街(かがい)とは、主に芸妓(げいぎ/げいこ)さんを呼べる料亭、茶屋などが集積する都市の一画を指します。花柳界と同様に花街柳巷(かがいりゅうこう)という漢語に由来しますが、昭和以降「はなまち」という読み方も広がりました。明治以降、娼妓の遊郭と芸妓の花街とが分離されます。これが近代の花街です。また、温泉地にも芸妓さんがいますが、都市の花街とは区別されます。我々が研究対象としているのは、都市の近代花街であり、近年では花街(かがい)といえば、もっぱらこの「狭義の花街」を意味することが多くなっています。
このような花街は戦後まで全国各都市に見られました。都市の要素として必須の物だったといえます。しかし、我々の調査によれば、現在では40カ所程度にまで減少しています。全国的には京都五花街、すなわち上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町や、東京六花街、すなわち新橋、赤坂、神楽坂、浅草、葭町、向島が有名です。北陸支部圏内では、小浜市の三丁町、福井市の浜町、金沢市のひがし・にし・主計町、富山県朝日町泊の神田新地、長岡市の殿町、新潟市の古町(写真)などがあげられます。このうち、金沢と新潟は店舗数、芸妓数において、全国有数の規模を誇ります。この2都市と小浜では空襲を受けていないことから、戦前の伝統的花街の景観が残っています。三丁町、ひがし、主計町は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
花街は、路地、建築、工芸品等のハードから、日本料理、日本酒、日本舞踊、純邦楽、和服、日本髪、日本画、華道、茶道、香道、作法などのソフトに至る、あらゆる日本文化を包括的に継承しています。日本文化が当たり前だった昔は、花街は都市の中で特殊な場所だったのかもしれません。ただ、生活が西洋化した今日では、花街は言わば最後の純和風空間としての普遍的意義を持っているのです。さらには、郷土料理、郷土出身作家の作品、民謡、方言など、地元文化を継承する場でもあります。
花街の主役は芸妓ですが、芸あっての芸妓です。この場合の芸とは、日本舞踊や三味線、唄などの伝統伎芸を指します。芸妓の職能は、おもてなしと伝統伎芸の二つといわれます。お酌するだけでなく、季節や郷土文化に合わせた舞や唄、礼儀作法、方言も含め、日本情緒とご当地風情豊かに接遇します。元祖ご当地アイドルともいわれています。また、「都をどり」「金沢おどり」「新潟をどり」などの年に一度の本格的日本舞踊公演に出演します。昔から、祭や行事には芸妓の存在が欠かせませんでした。最近では物産展に出演したり、海外の姉妹都市に出張するなど、観光大使、親善大使の役割も果たしています。
近年、花街の価値が見直されています。京都市は3月、花街文化を「京都をつなぐ無形文化遺産」に選定しました。日本の伝統文化を継承する花街を、観光資源や文化遺産として捉える動きが広がっています。景観整備から伝統伎芸習得の支援まで、行政施策として行われるようになりました。また、以前のように一部の旦那衆だけに頼るのではなく、市民をあげて支援する組織や経済的仕組みが用意されつつあります。花街は、まちづくりの対象になったのです。特に新潟では地元企業によって設立された株式会社に芸妓が所属し、全国に先駆けて現代的な就労環境を保証しました。
花街には学際的研究が必要です。建築学分野からも、より多くの研究者に興味を持って頂けるよう願っています。「敷居が高い」といわれますが、花街の人達は、より多くの市民との繋がりを望んでいます。門戸は開かれていますので、是非、インターネットなどで調べてみて下さい。
参考:花街空間研究会ホームページhttp://niigata-toshikeikaku.jimdo.com/花街空間研究会/